あるべき論からの脱却と、22分の16


あるべき論(すべき論)ってのはタチが悪い。

今、世間に溢れるあるべき論ってのは、往々にして、全体を重視し、個を軽視する。

これは多分、人間がそうやって繁栄してきたからだと思う。

個々がどう思おうとも、あるべき論に従えば、それは一定の正しさを保証される。

あるべき論が刷り込まれた他人の理性によって。

つまり、あるべき論者があるべき論に正しさを与えている。

これが本当にタチが悪い。

あるべき論が語られるコミュニティにおいてあるべき論は前提として扱われ、思考の機会が制限される。

あるべき論の怖さは、その正誤にはなく、個人の思考を奪うところにある。

個人の欲求には凄まじい原動力が含まれている。

あるべき論に囚われていては成し得ない新しい何かはそういう所からしか生まれない。

一見、それが悪いものであっても、それはあるべき論からの景色に過ぎないのだ。

どうも、4年目鈴木です。続きます。

サッカーの終わりが近づいてきた。

代替わりして、雪積もって、屋内で練習して、ようやく外でサッカーできるってとこで活動自粛。

今シーズンは本当にあっという間だった。

変則リーグではあるけれど、一応、2部リーグ優勝。

個人的には不完全燃焼気味。正直そこまで嬉しくはなかった。

こんなことになるなら去年もっと頑張って残留すれば良かったって思ったり。

自粛期間中にもっとしっかりトレーニングしとけば良かったって思ったり。

当時はどんなに頑張っていたつもりでも、振り返れば後悔は尽きない。

でも、まだ、最後にプレーオフ。

どうせなら、リーグ戦終了で綺麗に引退したいって思った時もあったけど、

やっぱり、最後は自分らしく、がむしゃらに上だけを見てやっていきたいと、今は思う。

気付けば、22分の16年。本当、サッカーしかしてこなかった。

過去を振り返ればいろいろとあるけど、現実は、サッカー選手が1人と目の前のプレーオフ。

最後まで、自分らしくサッカーをしていたい。


#9  鈴木謙吾

0コメント

  • 1000 / 1000