パラレルワールド

瞼を貫く明るさを感じて常呂は目が覚めた。目を細めたまま投げるようにカーテンを閉めて、わずかに空いたその隙間から室内に入り込む太陽の光を遮る。

寝返りを打ちながら再び目を閉じて、寝る前の記憶が思い出せないことや過去に何度も経験してきた目覚めの悪さから直感的に昨晩寝落ちしたことを自覚した。まだエンジンがかかりきっていない頭で今日が火曜日であることをなんとか思い出してから頭だけ起こして壁掛け時計を見ると針は八時五分前を指していた。深く息を吸って長いため息のようにすべて吐き出すと徐々に昨晩の記憶がよみがえり、おそらく夕食の片づけをしてないであろうことを思い出してしまった。もしかしたら夕食どころの話ではないかもしれない。眼前のやりたくもないやらなければいけないことから逃れるために二度寝を決め込もうにももう既に全く眠くないから横向きだった体制をうつ伏せに変えて枕元に放置されていたスマホを開くと充電は20%ほどであった。思ったより残っていたなと思い、充電ケーブルをスマホに差し込んだ。

返信の予定がないSNSを一通りチェックし予定通りだったことを確認した後、背中にまとわりつく汗が気持ち悪くて結局活動を始めることに決めた。トイレに向かう途中でキッチンを確認すると流しには空のコンビニ弁当のほかに一切食器はなく、その横に昨晩洗った食器が台拭きの上に逆さに置かれていた。昨晩の自分を誇らしく思うのと、自分の記憶がなんて曖昧なのだろうかと少し気が滅入る。

脱衣所で服を脱ぎ洗濯機に入れようとしたところで洗濯機の中に回したまま放置された衣類を確認したことで自分への不甲斐なさだけが残る結果となってしまった。音楽でも聴こうと思って枕元で充電ランプを光らせるスマホをケーブルから抜き、適当な再生履歴をフルボリュームでシャッフル再生して脱衣所のラックの上に置きっぱなしにしてあるジップロックに入れて浴室内に持ち込んだ。

シャワーを浴び浴室から出てラック内のボックスに小さく畳んで入れてあるパンツを出してバスタオルを腰に巻いたままはく。少なくとも下着に関しては干してあるものを取って身に着けることが習慣化しているから昨晩干し忘れたものとさっき脱いだものを差し置いたこのパンツの登場は久々のことであろう。脱衣所を出てスマホを再び充電しBluetoothスピーカーの電源を入れキッチンへ向かう。置きっぱなしで使いっぱなしのコップをゆすいで冷たい麦茶を注ぐころに接続が完了してスピーカーから邦ロックが流れ出した。

昔から朝は全く食欲が湧かないが、とったほうがいい気がするという理由だけで惰性で朝食を食べるようにしている。どうせ食欲が湧かないのであれば健康にいいものを取ろうと思っていろいろ試したが、安くて簡単だからお椀にグラノーラと牛乳をぶち込んで食べてばかりいる。おいしいと思うことがほとんどないのは食欲がないせいだ。商品のせいなんかではない。そう思わなければまたよりよい朝食探しをしなければならなければならなくなる気がする。食欲があるときに食べることは絶対にない。それは検証をして答えを開示したくないからではない。単に腹が減っているときにこんなものを食べる気にならないからだ。ただしレーズンはいらないと思う。

パーカーの上にアウターを羽織るか迷ったが、暑いより寒いほうがいいと思って着ないで外に出ることにした。集合玄関を出て四月下旬にしては強い日差しを受けてアウターを着なくて正解だったと思った。

二限の授業は一年生の時に前期も後期も面倒くさくなって切ってしまった区分の科目で、二単位足りなかったためよさそうなものを見繕って選んだのだった。棘皮動物に関する講義なのだが、領域がニッチすぎるためおそらくほとんどの学生の目にも止まらないのだろう、受講者数は十数人である。先生は随分と楽しそうに講義をする五十代後半くらいの水産学部の教授で、若干離れている丸い目と唇が薄めで横に大きい口のついた丸顔は何となくガマガエルっぽさがある。ワイシャツがかわいそうなくらいのビールっ腹に反して腕まくりをした腕は四月にしては日に焼けていて、過去にスポーツをしていたことが推測されるほどに筋肉質だ。水産学部であれば課外活動もあるだろうし、アウトドア派なのであろう。遊ぶし酒も飲むし飯も食う、好きなように人生を楽しんでいるといった感じのエネルギーに満ちた人だと思う。一年の後期に初回のガイダンスをすっぽかしたことで落単したことと、シラバスの内容を踏まえてこの講義を選ぶことにした。講義を聞いてハンドアウトを読めばわかるような簡単な問題と授業の感想を最後に提出すればいい、話したがりの教授におべっかするタイプの講義形態だ。

第一週は教授の出張で早速休講だったため、四週目にして三回目の今日の授業はナマコに関するものである。先週と先々週は長いことウニについての話を聞き、案の定ナマコについての話も長くなりそうだなと窓際の前から三列目の席に座って考える。初回の講義のときに横六席、縦五席の小さな教室を見て、後ろに座ると前の席に詰めさせられそうだという予想のもと三列目に座ったのだが、入ってきた教授はばらばらに座る学生を気にすることもなく一人一人にハンドアウトを配り始めた。最初に十数個の個人がそれぞれの判断で決めた座席たちは一見ばらばらであるがその実絶妙なバランスの上に成り立っていて、友人同士らしい二人一組を除いて誰一人として隣同士に座る者はいなく、他人同士であるという距離感を物理的に完全に再現していた。その完璧な配置を乱すことは多くのエネルギーを要する行為であり、翌週も同じ席に座ったし、そして今も同じ席に座り続けている。

授業は今週も滞りなく終わった。つまり単位取得という最低限の目標のために一切の変化を必要としない生徒の怠惰と好きなことについて話したいという教授の自己顕示は愛想笑いや話を聞いている風のうなずきという形で今週もほどよい折り合いを見つけて妥結したということだ。教授は時間と労力の代わりに自己承認と給料を、生徒たちは単位を得る。同じ時間を共有したはずなのに得たものは異なるのは当然なのだが、楽しそうに教室を出ていくのは教授と昼ごはんの話をする二人一組だけで、残りの生徒の顔には疲労感か虚無感が映っている。もちろん自分も後者なのだが、この事実を客観視しているだけで他の後者よりも優位に立っていると思っている。

四限の授業が終わって十六時十五分、そこからスーパーで夕ご飯の食材を買って家へ帰ると十七時を少し回ったところだった。食材を冷蔵庫に詰めた後リュックをベッドのわきへおいて枕元に脱ぎ捨てられた部屋着を着るとそのままベッドへ倒れこむ。何かする気が起きるまでYouTubeのおすすめを適当にスクロールするのが習慣となっている。惰性である。そんな事当然分かったうえで、わからないふりをすることもせず体を横たえ続ける。今日の午後の授業で出た課題、しばらく洗っていない浴室やトイレの掃除、炊事、洗濯、そういえば木曜日の三限に提出するレポートもまだ手を付けていない。床はちょっと前に掃除機をかけたからまだ大丈夫。自分の頭に搭載されているのは惰性での動画視聴でいっぱいいっぱいになる程度のメモリではないらしく、考えたくもないけど考える必要のあることを勝手に考えてしまう。でもしばらくは動かない。このままこうしていることで少しずつたまっていく自身への憤懣があふれ出すまでは動けないんだ。静止しているものは静止し続けようとする。慣性を打ち破るにはエネルギーがいるから、あふれ出す憤懣というエネルギーが得られるまではこうし続けることしかできない。こんな日常を繰り返すようになってだいぶ経つが、だんだんあふれ出すまでにかかる時間が増えている気がする。あふれなくなったらいよいよその時は、どうなるのだろう。

結局慣性を打ち破ったのは憤懣などではなく空腹だった。料理を作るのに必要な労力を食欲が上回ったとき外はまだ薄暮期といっていいくらいだった。

カーテンを閉めて立ち上がる。今日は炊事を片付けから始めなくていいから幾分か気が楽だ。炊飯器のボタンを押して冷蔵庫から肉を取り出す。今日は豚バラが安かったから大量に豚キムチを作ろう。豚と玉ねぎを切って炒めてキムチを入れて炒めて醤油と酒とみりんと蜂蜜を感覚で入れる。これで満足できるのだから舌が肥えていなくて良かったといつも思う。大きい器に豚キムチを移しフライパンを流水で流しながらシンクに入れる。冷蔵庫からビニールに包まれた玉レタスを出し、葉を二枚とってビニールに入れて冷蔵庫に戻す。洗った葉を適当に千切ってドレッシングをかけてサラダをとし、豚キムチの横においておく。リビングの、といってもほとんどキッチンとの区別はないそのテーブルに料理を置いて炊飯器を見るとあと三分で炊けるようだ。流しに投げ入れてある調理器具を洗ってしまう。まだ炊飯器の音が鳴らないので仕方なくコンロ周りにとんだ油をキッチンペーパーで拭いていると炊けた。

YouTubeを開いて登録しているチャンネルの新たに上がった動画をリモコンに立てかけるようにして見ながらご飯を食べる。

食器も下げないでベッドに横になるとほかのチャンネルの動画を見る。

一昨日からきている部屋着のにおいを嗅いでから洗濯機に投げ入れシャワーを浴びる。上がると自然と眠気が来るまでやることはない。

雨が降っていたようでオートロックの扉が開いてから地面からの照り返しに思わずうつむいた。買ってからそう長くないスニーカーを履いていたから履き替えに戻ろうかとも考えたが、水たまりは路側帯に残っているくらいで乾き始めているアスファルトをみて歩き始める。じめじめした気持ちの悪い湿度と晴天以上にキラキラしている街はこれぞ雨上がりといった感じ。家の前の通りに植えられている街路樹が今日初めて認識した生物だった。小さく長いその葉は青々として雨粒をたたえている。信号が赤だったから脇道へ入ると中央線のない住宅街の道路には自分しかいなくなった。急ぐ理由もないから人通りが少ない路地を適当に歩いていくこの時間が嫌いではない。適度に周囲の情報に脳の容量を割き、体は歩くという行為に従事していて暇していないという状態が精神的にとても気楽だと思う。

住宅街を出ると国道を歩く。喧騒に満ちている片側三車線の道路は安寧とはほど遠い場所で、これから一日を始める人々がしっかりとした足取りで道を歩いていく。歩道の流れを作っているすべての人がそれぞれの形で今日も社会を回す。もちろん自分もその一人だ。今日もしっかりと単位獲得活動に従事するために常呂の肉体は人々の流れに乗った。

一人で他学部にいると自分があまりにも異質な臭いを放っていて、周囲の人たちからの自分に対して向けられる無関心を装っているが排他的な圧力に押しつぶされそうになる。そんな目でこっちを見るなと思うが、馴染めていない自分が悪いのか、そもそもそんなものは気のせいかもしれないし考えたって仕方がないとわかっている。それでも、どんなことをどのように考えるかというのはその人の自己同一性を、特に内面において決定する最重要事項であり、これまでの人生でこうなってしまった自分には考えないなんて選択は到底とれるものではない、ということもわかっている。とか、現代人らしく無為にスマホをいじりながらぐるぐる考えている自分はやはりこの場において異質なのだろうという結論に至る。

文学部は大学建立当初からある学部であるがちょうど常呂が入学する年に改築工事が終わり、歴史や伝統などという形骸的な価値基準を守りたがる学部の建物とは装いが異なっていた。入口を入ってすぐのホールは空間の中に曲線が多く取り入れられ、高い天井と中庭が見えるガラス張りの壁が演出する開放的な空間にはいびつな形をしたデザインのベンチがいくつか置かれている。

ホールの右手奥の階段から講堂に入りいつもの席に向かうと既に厚木が座って待っていた。隣にカバンを下すとこちらに気づいた厚木は右耳のイヤホンを外しながら、よう、といってきたので生返事を返す。席に座るとそこで初めてこの学部の中に自分が存在するべき空間に収まったような気がした。

「今日空いてるしょ?」

厚木が聞いてきた。

「うん、空いてるよ。なんかすんの?」

「普通に飲もうぜ。」

「何かあった?」

「いや、別に。ただむしゃくしゃするからパァーっとやりたい気分。」

「絶対谷古宇だろ。」にやにやしながら訊く。

「まぁいいじゃんなんでも。それも含めてとにかく飲もう。ほら、先生来たよ。クソ授業の始まり始まり。」

前を見ると教授とアシスタントの学生がハンドアウトを配り始めていた。

「飯は?」

「食うか。」

「じゃあ直ね。」

「おけー。」

チェーン店の牛丼で適当にお腹を埋めてから二人はいつもいく飲み放題が安い大衆居酒屋に入ると十八時のわりに金曜日の店は混んでいたがすぐに案内された。奥側のテーブル席に通され、席に着くと隣では男女が飲んでいた。

「マッチングアプリだな。」

「多分な。」

つまらない女の話とそれに共感しかしない男の相槌という図は承認欲と性欲を満たし合おうという利害関係の上に成り立っている場合がほとんどだと思う。そんな姿をさらすことはじぶんにとっては少なくとも素面ではできないくらい恥ずかしい行為なのだが、今日は客観的にその構図を観察して冷えたまなざしを送ることができる立場にいる。しかし下心が口元から漏れ出ているような男の薄ら笑いは見るに堪えず、早くアルコールが欲しくなった。

「早く頼もうぜ。俺ビール。」

店員に飲み放題のオーダーを告げるとそのまま生ビール二つとたこわさとから揚げを注文した。

男女のほうを見やると女が席を立っていて最初のアルコールが来るまで厚木の背後からやってくる共感性羞恥に耐える必要がないことに胸をなでおろす。男はというとさっきまでの表情とは打って変わった真顔でスマホを見ている。

女よりもビールとお通しが先にやってきた。乾杯をして一気にジョッキの半分を空にした。

「なんで俺よりお前の方がペース速いんだよ。」

「いいだろ別に。そんなことより今日は何したのさ。」

「特に何があったってわけじゃないよ。」

「いいから言えって。何もないのにむしゃくしゃするようなやばい奴と友達になった覚えはないぞ。」

厚木はいつも通り谷古宇という教授の文句を話した。ゼミの度にこってりと絞られて居酒屋で文句を垂れるというのが定番であった。それを面白がって聞きながら一通り厚木が話し終わったあたりで、「なんだ谷古宇って、変な名字のくせに」と同調すると厚木が「お前も大概だからな」といい二人で笑う。こんな本当につまらないやり取りが本当に最高だと思う。それは楽しいとかいう感情よりも安心に近い。

中学や高校のころは日々の生活をいやでも一緒に過ごす集団があって、その中で自由に生きていればおのずと自分の立っている位置というのが定まっていた。わざわざ取り繕わなくても集団の中の価値観が近い誰かしらと仲良くなることができた。逆に敵もできるが、いずれにせよ自己欺瞞とも孤独とも無縁の世界を生きていた。

我ながらよき友に恵まれてきたと思う。恵まれすぎていたのだろう。地元を出て一人で生きていくとなったときにはじめて社会の中ではありのままの自分では生きていけないことを知った。簡単に言えば愛想がなかった。だから同じ教室の人たちの中で関わってくる人といえば広さだけはいっちょ前の軽薄な人脈に固執する奴と一人でいることが惨めだと思うのに友達がいなくてにっちもさっちもいかない奴と外目がそれっぽければ誰でもいいと思っているようなあほ女ばかりだった。そうしてSNSの中で着々と数を伸ばすフォロワーやともだちの数に反して誰かと時間を共有することは減っていった。より正確に言うなら、誰かと一緒にいる幸福を時間で積分した値が減少した。単位を得るためか一過性の欲望を静めるために共有される時間はなんとも乾いた時間で単位時間あたりに得られる幸せは一握の砂ぐらいに感じられた。そして年が明けるころには日常的に会う人はほとんど厚木以外にはいなくなっていた。

厚木との時間はまさに中学、高校生活の延長だ。学生という社会的な立場をふんぞり返って若さという圧倒的な力をふんだんに使って舌の上の角砂糖のごとく時間を溶かし続ける。勤労の代わりに教育で義務を果たしているようでいて本当に学んでいるようなことなど少なくとも自分には何もない。そのくせそんな自ら退屈にしているような時間を過ごしたことでたまるわだかまりをこじつけにまた角砂糖を溶かしての繰り返し。けれど溶かし続けなければならないのだ。そうじゃないと必死になって日常的に目を背けている怪物に見つかってしまう。怪物がいることも、実はもう見つかっていることもわかっていながらに目を背け続けないと到底今の自分は生きていけないから。

高層ビルの屋上になぜかある全面ガラス張りのエレベーターに乗るとエレベーターは音もなく上昇し始めた。足元を見ると地上何百メートルかという高さに鼓動が一気に早くなる。このエレベーターは大丈夫なのか不安が心を満たす。びくびくしながら足元を見ていると案の定エレベーターはぐわんと揺れ、直後自由落下を始めた。心臓が縮み上がる感覚を抱いた瞬間に夢だと気づく。目じりに大量についた目ヤニと口の渇きと酒臭さで昨夜のことを一気に思い出す。大量に酒を飲んだ次の日は寝覚めが最悪なだけに目覚めはすこぶるいい。洗面所に行って顔を洗い、口をゆすいでからキッチンに行って水を飲む。今日は何一つとして予定がない。二日酔いの中外出する必要がない幸福で何もすることがないという虚無を覆い隠し、とりあえず次はシャワーを浴びようと考えることで何かしなければいけないという焦燥から逃げ出す。

朝ご飯のグラノーラを食べて歯を磨きながらメディアショップに向かうことに決めて適当な服に着替えた。いかにも春という感じの暖かい日差しは二日酔いにやさしい。気温が昇り始めて感じる空気の冷たさと太陽の暖かさはとても気持ちがよく、午前中のうちに活動を始めてよかったと思った。道行く人も木々も花も鳥も春を享受していて、自分と世界との間に一切の齟齬が生じず回っているような気がした。日常的に世界に照らされて正体を現す影のような感情ばかり咀嚼していることを思い出して自虐的な普段の自分を情けなく思うが、そんな自分を受け入れて今は忘れてしまえる。なんだか久々に心に余裕があることがうれしい。

店に入って中古のゲームソフトのコーナーにまっすぐ進む。明日も何も予定がないから二日かけて熱中できるテレビゲームを見つけ出すことが今日この店に来た目的であった。売り場につくと一つの棚あたり二人くらいの密度で天気の良し悪しなど気にも留めないゲーム好きたちが物色していた。街のはずれにあるこのメディアショップにしては相当混んでいる。たまたまかもしれないが視界に入る全員が黒縁の眼鏡をかけていたから同族という気にはならない。棚を見るとGWはゲームをして過そう的な文言とともに多くのソフトが三割引きになっていた。ゴールデンウィークなんてすっかり忘れてしまっていた。スマホのカレンダーを確認すると来週の水曜日が憲法記念日のようだ。なるほど黒メガネたちはゴールデンウィークを見据えてゲームを買いに来ていたのか。

既にいくつかソフトが売り切れた空白が散見される割引されているタイトルに絞って物色をし、結局前々からやろうと思っていた王道RPGの購入を即決したほか、初めて見たダークファンタジー二タイトルを面白そうだったので買うことにした。

いい買い物をしたと満足しながら帰路につく。あぁ、ゴールデンウィークはどうしようか。このゲームたちは五日間自分のことを退屈から守り通してくれるだろうか。あの黒メガネたちは退屈から逃げるためなんて考えることなんて無しにゲームを楽しむことができるのだろうか。中には親の金で日々ゲームに勤しむようなろくでなしもいるだろうが、自虐に苛まれることがないのだとしたらそんなやつでも羨ましかった。相も変わらず美しい世界が心に影を落としたようで、世界がまたギシギシと音を立てだす。あぁ、とりあえず昼ご飯を買うためにスーパーに寄ろうか。

何かに起こされて、すぐに犯人が尿意であると知覚する。ベッドを出ると部屋の気温との間にスウェットが持つ確かな熱の膜に体が守られているのを感じたが、足の裏はトイレに向かうまでに冷たくなってしまった。水を飲んでベッドに戻りながら寝室のカーテンから漏れる弱く濃い青色を見たから時計を確認すると五時半ごろだった。

意外なほどに寒い。明け方がこんなにも寒いことを久しぶりに思い出した。一日の気温の最下点から身を守るようにベッドに深く潜り込む。二度寝ができれば一番収まりがいいと思って目を閉じる。

結局先鋒のダークファンタジーは見事に二日間常呂を熱中させた。それどころか月曜日の単位獲得活動に従事しようとする彼を家の中に引き留め、完全クリアに至るまでテレビの前に釘付けにするという大仕事をやってのけた。

この分で行けば先のことは万事問題ない。とりあえず目先の時間をどうしようか。寝返りを打ってうつ伏せになる。枕を抱きかかえるようにして頬に押し当て全身をタオルケットとシーツと枕カバーの柔らかい質感で覆うのが寝室で最大の安らぎを得ようとするときの自分の中の最適解だ。

どれくらいかそうしていたが、次第に頭が冴えていく。左を向いたときにカーテン越しにも太陽が存在感を増しているのを感じてとうとう堪忍した。

まだ二限が始まるまで四時間以上もある。いつも通りシャワーを浴びて朝ご飯を食べても時計の短針は三十度も進んでいなかった。ひとしきり朝の業務を終えて整った体で座布団の上に胡坐をかいて中堅に選ばれた王道RPGに手を出した。

手持ち無沙汰のせいで早めに家を出たから前の授業が終わらないうちに教室についてしまうと途中で気付いた。仕方がないからコンビニによって立ち読みをすることにしたものの、普段雑誌なんて読まないから名前だけは聞いたことのある雑誌をただただ目で追った。

少年誌の表紙に知っているキャラクターがいたから手に取る。兄が好きで買っていた漫画で当時はよく借りて読んでいたのだが兄が家を出てからは読んでいない。とても有名な漫画だからまだ続いていたことは知っていたが、やはり実際に読んでみても話はさっぱり分からなかった。こんなことなら家で手持ち無沙汰だった方がましだったような気がするが、過去の自分はきっとまた早くに家を出るだろうと思えた。それくらいあのゲームは面白くなかった。今までやったことのないゲームシステムに戸惑い続けて二時間が経過したところで諦めた。慣れたらきっと面白いのだろう。けれども今の自分では受け止めきれなかった。

雑誌を戻し、居座った代わりに百円の清涼菓子を買ってコンビニを出る。焦燥感に包まれてしまっている。またメディアショップに行くはめになるのだろうか。あぁ、わからない。なんでこんなにもたやすく余裕なんてものは消費されてしまうのだろうか。例えばいま目の前に高校生の集団がいてあたりに高校生たる様々な所以を全身から振りまいているとして、小学生が人込みを顧みずにランドセルを左右に揺らしながら走り回っているとして、信号待ちをしている母親とベビーカーのなかで世界など何も知らないようなきょとん顔の赤ちゃんがいるとして、自分は笑えるだろうか。自分は余裕がないと自覚しているという余裕だけでなんとか精神を保てている気がする。時間的な余裕が心の底から恨めしい。

大学構内は青々としていて生命力に満ちていた。そして今から新緑なんかよりよっぽど生命力に満ちたガマガエルと顔を合わせることになる。どうか満ち溢れないでいてくれといつも願う。ああいう人に触れ、あふれ出たエネルギーを浴びてしまうと自分の中の秩序が乱されてしまうからだ。バイタリティにあふれるのは勝手だが、周囲の人まで飲み込んでしまうような連中は心底嫌いだ。自分を疑ったことがない表情も、周囲と積極的に関わることがあるべき姿だと考えている思想も、人間的な力や欲が漲っている体も、俯いたことのないまっすぐな目もすべてが嫌いだ。

階段を上って少し上がった息を整えながら教室に挟まれている長い廊下を歩く。一限が終わった人がぞろぞろと向かいから歩いてくる。教室に後ろ側のドアから入る。ドアノブにあった視線を光のほうに向けると、窓際の前から三列目の俺の席には知らない女が座っていた。

#96 黒澤 広大


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