「クソみたいな3年間だった」
大学サッカー3年間を振り返った、率直な今の感想だ。
そういう3年間になってしまったのは、他の誰でもなくひとえに自分の責任だ。
入部直後から怪我がちで、まともにプレーした覚えがない。
引退していった先輩たちとの思い出も、ピッチ外のものがほとんどだ。
プレーヤーとして、プレーするために、プレーがしたくてこの部活を選んで入部した。しかし、選手としてプレーでチームに貢献できたことは3年間でゼロに等しい。当初の目的を全くもって達成できていない状況を振り返れば「クソみたいな3年間だった」というしかないだろう。
ここまで「プレーする」ことにこだわるのは、高校3年間サッカーから離れていたからかもしれない。
高校入試が終わり、入学前の春休みから部活に参加していた。
周りは当然自分よりも上手い選手であふれていた。そんな選手たちと一緒にプレーできるのかと心躍った。サッカーは大好きだったし、モチベーションもかなり高かった。でも、日を重ねるごとに、好きで始めたサッカーがいつの間にか義務になっていた。
楽しさは感じなかった。苦痛でしかなかった。
「サッカーを辞める」なんて微塵も考えたことがなかったけど、もらった入部届を提出することはなかった。あれだけ大好きだったサッカーをこんなにもあっさり辞めることができるのかと、自分自身に悲しくなった。
サッカーをやめてからは無理やり勉強に打ち込んだ。サッカーしかしてこなかったから、他に何をしていいのかわからなかった。サッカーのかわりになるものがそう簡単に見つかるはずもなかった。
そんな「空っぽ」の高校生活の最後に、冬の選手権の県予選の応援に行った。
準決勝、相手は市船。試合内容は覚えてないけど、皆気持ちのこもったプレーをしていた。
感動しつつも、サッカー部員の一体感の中に自分がいないことが少し悲しかった。
ピッチの上で応援される選手たち、ひりついた緊張感の中で強敵とマッチアップする選手たち。「自分がそこにいたら」なんて思う資格すらないのに、サッカーはやめたはずなのに、いつの間にか、「自分だったら」とか「悔しい」とか感じてしまっていた。
そんな感情に気づいて恥ずかしく思うと同時に、まだサッカーを嫌いになってなかったんだなと自分のサッカーへの想いを再確認し、大学ではどんな形であれサッカーをしようと決意したことを昨日のように憶えている。
自分自身の身の上話に同情してもらおうとは思わない。自分の苦しかった経験なんてそこら辺にはいて捨てるほど転がってるから。
今回のブログでこうして過去を振り返ってみたのは、残りの一年で高校生の時の自分の決意に報いる活躍をする覚悟を固めるためだ。
たくさんの人に支えられてサッカーができていること。サッカーができることは当たり前じゃないこと。周囲への感謝を忘れずに、新シーズン、最後の一年は思いっきり楽しみたい。
「最高の4年間だった」と笑顔で終われるように。
#44 原田莞太朗
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