皆さんこんにちは、新三年目の西平賀峻介と申します。大学生活も折り返しに差し掛かっているということで、来シーズンは私にとっても、部活全体にとっても大事な一年となるのではないかと考えています。
ところで、大学にきてまで体育会部活に入る意味とは何なのでしょうか、また何を4年間で勝ち得るのかということを考えてみました。
以下私なりの解釈ですが、ひとつ挙げるとするなら、4年間を通して学生という身分で本気でサッカーに取り組むことができるからこそ、人間として大きく成長させることができるということと考えています。
大学は学術研究および教育における高等教育機関であり、その中で活動する部活動は、単にスポーツを楽しめる場所以上に、人間形成の場だと考えることができると思います。つまり、人間力の育成の場になるのではないか、と私は考えています。人間力とは「自立して、社会で生きていくための力」と定義されていて、例えば挨拶などの礼儀正しさ、忍耐力を含めた部分だとも解釈できると思いますが、最も重要なのは"自分自身で考えることができる能力"だと思っています。
北大は現在、コーチや指導者を設けていません。つまり、学生が主体となって行動をおこす必要があると言えるでしょう。学生が主体となることは自力で考える環境にもってこいだと考えることもできると思います。
最近、私自身が広報部門長ということもあり、OBOGの方々と接する機会が多かったわけですが、すでに二十歳を超えた人間としてしっかりとした対応が求められており、その中で何でもかんでも先輩方に頼りすぎるのではなく、一人の大人であるべきだと感じました。要するに自分で考え行動、人間力の向上が求められているのだと。現役の選手、スタッフだけで完結するのではなく、外部の人達から愛される集団になるということです。そして、保護者やOBOGの方々は、仮にこんな時に礼儀もない、自分で行動しようとせず、人任せな人間(現役部員)を応援したいと思うのでしょうか。正直、心の底から応援したいとまではいかないのではないでしょう。スポンサー獲得したいと考え始めたサッカー部ですが、なおさらこうした部分をしっかりしなくてはいけないと思っています。
さて、北大サッカー部の様な、とりわけ強豪高校から集まったわけではなく、技術面で劣る平凡な集団は、こうした日々の積み重ねやオフザピッチでの姿勢をピッチ上で表現することが重要になるのかと思います。
そして、現在活動自粛を余儀なくされていますが、「今、置かれた時間と場所で全力を尽くす」といった姿勢が求められるのではないかとも思います。これは、当然部活動が再開してからも当てはまる考えだと思っていて、とりわけサブ組はアイリーグで満足したり、使ってもらえないからといって不貞腐れるのは非常にもったいない。まずは、自分自身の実力不足に目を向けることで、今何が足りてないのかを自分自身で考えることができると思います。この過程が最終的にサッカー部員として成長することにつながり、卒部する時に人間としても成長できるのではないか。
多くの人が高校時代の部活動や学校生活の偏った意見に囚われがちな様な気がします。つまり、高校時代の記憶が最大瞬間風速でそれ以上を、更新することはないと考えがちではあります(もちろん、自分の中での核となる部分としては重要ですが)。しかしながら、大学の4年間を北大サッカー部で過ごすことは、まだまだ成長できるチャンス、つまり人間的に一回り大きくなれるチャンスなのではないかと思います。幸い、私は全国各地(同期は北は北海道、南は広島県)から集まったメンバーから沢山の刺激を受けてきましたし、沢山のリスペクトできる点を見つけることができています。
そして、残りの2年間程度の大学サッカーですが、前述の通り部員一人一人が成長し、大きなひとつ集団となって、それをピッチ上でうまく表現できるチームを目指したく思います。
ここまで、サッカー本体以外の部分について書いてきました。私はそういった細かい部分がプレーに少なからず影響すると考えています。一方で当然、多くの人が気にするサッカーの"結果"という部分で他大学をあっと言わせるために、練習再開に備えたく思います。
# 2 西平賀峻介
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