人生で一番長く続けてきたことを、引退するときが来たようです


皆さんごきげんよう。北海道大学体育会サッカー部の高廣です。

この部活に入部しようと決めてから三年と半年が経ちました。今回は、せっかくの引退ブログなので、自分の四年間について、書きたいこと全部、自分が読み直して懐かしめるように、長々と書いていきたいと思います。

<入部>

三月の終わりくらいに北海道にやってきたのですが、この時代はコロナとは無縁の世界で、いろいろな部活やサークルが新歓をやっていました。何かしらの団体に所属したいという気持ちはもともとあり、案としては、虫サークル、卓球サークル、料理サークル、ロボットサークルらへんを掛け持ちするプランと、フットサル部に入るプラン、そして高校まで続けてきたサッカー部に入るプランを考えていました。サークルの掛け持ちは、自分の好きなこと、得意になりたいことを、自分の好きなタイミングでできる。フットサルは、泥だらけにならずともサッカーに似たことを体験できる。サッカー部はただただ今まで続けてきたってだけでした。

時間、手間、自由度。何をとっても圧倒的に他にはかなわなかったサッカー部入部という選択に至った理由。

一つ目は、先輩方がいい雰囲気で、楽しそうにサッカーをしていたから。

雰囲気に関しては、なぜか一回触れてしまうと癖になっちゃうような不思議なものだったし、話を聞いてみると、練習を全部自分たちで決定しているという。そんな自主性のある部活動が、先輩方が、大学生になったばかりの僕にとってとても素晴らしいものに見えてしまいました。

この時点でサークル掛け持ちという選択肢はなくなりました。せっかくなら部活で頑張りたい。

二つ目の理由は、ロングキックが少し得意だったから。

これは、フットサルとサッカーで、どっちをやるか悩んでいた時に考えたものです。こいつらの違いは、ルール、戦術、その他もろもろたくさんあるけど、一番の違いはスケールの差だと思います。ロングシュート、クロス、コーナーキック、サイドチェンジ、センタリング、スルーパス。どれもあの大きなコート内の状況を、キック一本でガラッと変えることができる。

自分はなぜここまでサッカーを続けてきたのか、自分が感じてきた魅力は何なのか。

その答えはきっと「ロマン」だ。

そんなことに気づいてしまったので、もう、サッカー以外の選択肢は考えられなくなっていました。

<入部して初めてのテスト期間>

高校では当たり前だったテスト期間休みがないことに驚きました。教科数も、比べ物にならないくらい多かったし、内容も難しかったし、朝練からの一限テストなんて、前日詰め込もうとすれば朝練でものすごく調子が悪くなったり、逆に早く寝たら、テストが全く分からなかったり。そもそも朝練終わりの一限なんて、眠たさに勝てるはずもなく爆睡。授業をちゃんと聞いて、コツコツ勉強するなんて言ってもそんなの机上の空論でした。総合理系で入学した自分にとって、成績をとることは人生の道を決めるも同然だったので、部活なんてやってる暇なんてない、両立なんて無理だ。サッカーの調子が上がらないことも相まって、なんども部活をやめることを考えました。しかし、同じ境遇の同期が、同じ苦しみに涙を流しながらも食らいつく姿を見て、「こんなことでへこたれてなんかいられない、こいつも、ここにいる先輩方もみんな乗り越えてきた道なんだ」と思い、必死になって頑張りました。この時がこれまでで一番辛かったと思います。

<一年生の頃>

新歓飲み会がありました。いつもまじめだったキャプテンがビールを一気飲みするのを見て、酒で人はこんなに変わるのか、と思い知らされました。

海ジンパがありました。マネージャーも混ざりながら、晴れたビーチでバレーボールをしたのを思い出します。学年を超えて仲良くなることができたいい企画だったと思います。

とんぺー戦がありました。人見知り過ぎて、誰とも仲良くなれなかった思い出があります。

会計として、備品を発注したり、年目部費をがんばって集めたりしていました。

あと、サッカーに関しては、ほんとによく覚えていません。へたくそなりに一生懸命やっていたと思います。

<二年生の頃>

無事、自分の行きたい学部に所属することができ、専門科目も始まって、やっと思い描いていた大学生活が始まると思っていた矢先、コロナウイルスが世間を騒がせました。外出自粛により練習中止。緩和された後も、練習人数5人まで。接触プレーの禁止。みんなでご飯を食べに行くこと禁止。やっと試合ができるという状況になったころにはもう、シーズンの半分が終わっていました。それでも、めげずに練習して、この年の昇格はなかったものの、二部リーグ無敗優勝を達成することができました。

あと、サッカーに関しては、あまりにも周りを見る力がなさ過ぎて、ボランチからサイドハーフにコンバートされました。

<三年生の頃>

三年生が、各部門長を担当することになり、自分は会計長になりました。

メンバーの登録から、リーグ参加申し込み、レンタカー予約、予算案作りなど。去年と一変して責任が伴う仕事を数多く任されることになりました。当時の部長と話し合いながら、自粛中のジムの補助金制度を作ったり、新ユニフォームのデザイン決めをしたり、それに伴うクラウドファンディング用のユニフォーム発注、お金の管理など、部活ならではの大仕事を任せてもらいました。学務やキャプテンに迷惑をかけながら、OB、OGの方々に協力してもらいながら、クラファンを成功させられたのはいい思い出です。

あと、サッカーに関しては、三年ぶりに公式戦で得点を取りました。そのシーズンはトップメンバーのけがなどもあり、学生リーグに出場する機会を多くもらい、試合感を鍛えられたいい年だったなぁと思います。リーグ戦の終盤に、自分が二点決めて、3-2で勝利した試合でman of the matchに選ばれた時、あれはうれしかったです。この年は二部で無敗優勝し、一部に昇格することができました。

<四年生>

規模は縮小したものの、学祭がありました。一年生のみんな、ごっつぁんでした。

コロナも落ち着きを見せ、三年ぶりにとんぺい戦を行うことができました。東北大の同期にあってみたけれど、割と顔や名前を覚えていたので、すぐに仲良くなれました。

また、四年間で一番忙しい夏休みを過ごしました。多い時では週4回試合があるなど、想像を絶するほどの過密日程でしたが、たくさん試合ができてよかったです。

縦のつながりをもっと深めたいという思いから、夏休み縦割り班活動を行いました。いつも見れない一面なんかを見ることはできなかったけど、いつも通りのこの感じがたまらなく心地いいんだなーなんて気づかされました。結局みんなもとから仲良し。

あと、サッカーに関しては、戦術を理解することの大切さを知りました。

自分は今まで、サッカーのIQが低い、脳筋、頭悪い、とよく言われてきて、そこに関しては自分でもよくわかっていました。積み上げてきた知識の差だからしょうがないとか、今更考えたって意味がないとか、いろんな言い訳をし続けてきました。しかし、上手な後輩がたくさん入部し、スタメン争いが激化する中で、何とかして試合に出たい、試合に出て、自分の持てる力を出し切って、四年目として一部残留に貢献したい。後輩たちに望みをつなぎたい。こんな感情が、自然と湧き上がってくるようになりました。そんなこともあってか、今まで以上に戦術の理解、チームにとって自分はどういうメリットをもたらすことができるのか、チームは自分に何を求めているのかについて考えたりしました。また、自分がやってほしいプレーを味方に伝えたり、時には見方からのアドバイスが自分の考えと合わず、言い争ったりしたこともありました。

考えながらサッカーをやる。結果、とっても楽しいものです。まだまだ周りのみんなには及ばないかもしれないけど、これでも自分なりに成長したと思っています。組織のディフェンス、体の使い方、ポジションの入れ替わり。自分がボールに直接かかわらないでも味方を楽にする、相手の嫌なことをする、相手の裏をかく、チャンスを作る。こんなこと言うのはあれですが、また来年も北大サッカー部でプレーしていたい、そう思ってしまうくらい、今年は成長できたし、まだまだ上手になれる気がしています。

しかし、その夢は叶いません。人生というのは何にでも終わりが来ます。四年間ぼちぼち書いてきたこのブログも今回で最後。14年間続けてきた全力サッカーとのお別れも近いようです。一点の悔いもないなんて言えたもんじゃないけど、まあここまでよく続けてきたなっていう気持ちはあります。あと一か月。短い、長い。それぞれ感じ方は違うと思うけど、何がともあれやれること全部やって、できること全部出し切って、最後は達成感の涙で終われたらなー、なんて思います。

最後に、ここまで支えてくださった皆様。残る試合も少なくなってきましたが、最後まで心のこもった応援、よろしくお願いします!

                                  おわり

                                #96 高廣 望

北海道大学体育会サッカー部

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