「リスタート」

 今の北大サッカー部はまさに「リスタート」をしようとしている。多くの人がそう感じているのではないだろうか。

 2019年10月20日。この日の悔しさを決して忘れてはいけない。後残り1年となった学生サッカー生活で、決して忘れることはないだろう。試合終了のホイッスルが鳴り響いた瞬間、自分の中に深い闇が広がっていく感じがして、呆然と立ち尽くす他なかった。ただ一つ思うことがあった。

「やりきれなかった。」

 90分間、全力で走りきることが出来なかった。90分間、体を張り続けることが出来なかった。90分間、声が枯れるまで叫び続けることが出来なかった。そして何より昨シーズン、苦しいチームを救うことが出来なかった。だから、悔しかった。

 自分を筆頭にチームはまだまだ未熟だった。サッカー面はもちろん、精神的にも人間的にも。その結果が降格だと思う。


 「リスタート」

 

 北大サッカー部はもうすぐ100周年を迎える。しかし、この部が100年の歴史がある部活であるかと問われれば、全くもってそうではないと答えるだろう。

 

 サッカー面については毎年、主将が中心となってどういうサッカーをしていくのが良いか、考えてはいる。サッカーについて考えることにある種の怠慢だとか、疎かな部分があるとは全く思わない。しかし、部の組織についてはどうだろうか?

 部門制は素晴らしい。きちんと役割が割り振られており、サッカー部の活動を進めるのに支障をきたすことはほぼなく毎日を過ごせている。しかし、どの部門にも共通して言えることがある。サッカーについては質を求める。なぜ部門のことになると質を求めないのだ?

 部の組織についての話では、おおよその人がそもそも考えることを放棄していると思われる。ただ今までやってきた業務をこなす。なぜその仕事が必要なのかもわからないままに。これではそもそも部門として「やらされている仕事」になっている。やらされる仕事はその先の成長が絶対にない。組織のことを考え、実行することで得られる成長が必ずあるのに…。

 サッカー部は歴史に見合った取り組みや意識が残念ながら今のところはない。組織のこととなると未熟であり、人任せ、怠慢などが容易に起こり得る。この意識の低さや、雰囲気の緩さ、徐々に変えていかなければならない。

 上の代の三主将を見てきて、これまで主将は考え、悩み、行動し、時には失敗もしながら本当によく頑張っていたなと主将になった今思う。きっと歴代の主将たちは様々な経験をして躓きながらも成長し、何かを得て引退していったのだろう。私も何かを得て引退できればと期待している。

 君たちに問う。受動的に日々を過ごしていないか。主将ではないからと言って自分からは動かず、人が動いてくれるのを待ち、ただ部活動を「こなす」事をしてはいないだろうか?

 

 自分に問うてほしい。このままでいいのか。ただ、サッカーをするだけの日々でいいのかと。動けるのはきっと気づいた君しかいない。

 共に「リスタート」切ろう。

 最後に今までのFacebookの投稿リレーではなく、このような新しい取り組みを実行した広報に感謝を述べたい。話し合いを行い、何かをやめ、新しいことを始めるのは簡単なことではない。上手くいくかどうかは別として、チームのためを思い、自らが考えて取り組んでくれたことを主将として嬉しく思う。

#4 多賀遼太郎

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