「錨をあげろ、帆を張れ」

サッカーというスポーツにおいてチームが勝つために必要な人間とはどのような人間だろうか。この問いに関する答えは決して一つではない。
点をとってチームを勝たせる人間、最後まで体を張って守備をする人間、声を出してチームの雰囲気を良くする人間、選手のマネージメントをする人間、挙げればキリがない。
しかし、自分がどういった点でチームに貢献できているか、それを理解し行動する事はとても難しい事だと思う。
この具体例の一つとして、試合に出るためには自分の武器を見つけろと言われる事がある。分かりやすい武器としては足が速い、体が強い、ボールタッチが上手いなどが挙げられる。確かに、スタメンを見るとその多くがその人なりの武器を持っている。その概念の延長線上に才能というものが存在すると思う。

人間は自分が他人に負けていると評価された時に「あの選手は技術は平凡だけど身体が大きくていいよな」とか、「勉強してないのに頭良くていいよな」とか、まさに自分にはない才能に着目してその人に勝てない自分を正当化してしまう事があると思う。では、才能で劣っていると感じた時にどうすれば良いのか。月並みな表現になるが、それは努力で補う事である。努力という言葉の定義は難しく思われるが、ここでは「辛い事も楽しい事も含め目標のためにすること全て」と、大きな意味で捉える事とする。口だけで言うことはとても簡単であるが目標に辿り着くまで実行する事はとても難しい。北大サッカー部での今までの自分の行動を振り返った時、どれだけそれを積み重ねてこれたかと考えるとこの文章を書いている事が恥ずかしくなる。しかし、今後の自分の決意を示すという意味も込めて書き続けたいと思う。
確かに、努力とは目標を達成せねば意味がない。これは勝負の世界では当たり前の事である。一方、結果はどうであれその過程を美学とするという考えもあるが、それについて自分は府に落ちない所が多い。
そこで、新たな考えを呈したい。それは
「努力を積み重ね続ければそれはいつかその人の個性を生み出す」
という見方である。才能に勝るために様々な方向からアプローチしていく事で始めて見つかる個性もあるという事だ。その個性は集団の中で一つ一つ異なる輝きを見せる。それはきっと強いチームに必要とされるものであるはずだ。激しい競争の中で一人一人の努力が良いチームを生み出すという当たり前の事実の裏にはこういったロジックがあるのではないか。

大切な事は
代が変わり、一年目からの意見も多く出て、風通しが良くなったこの部活という大きな船の中でどれだけの人が妥協という錨をあげ、力強く帆を張り、昇格へと導くことができるかという事だ。
そう、北大サッカー部は僕ら一人一人で成り立っているのだから。
#8 鈴木寿真

北海道大学体育会サッカー部

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